弟の話

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(文章提供:大阪市在住 男性)

 

 

弟の話だ。

古い話なので、少々時代錯誤なところがあるかもしれないが、思うことがあり、少し書いておきたい。

 

 

私の4つ下の弟は、軽度の知的障がいの手帳を持っている。

まったくコミュニケーションができないわけではないが、自ら話すことはない。聞いたことには答える。聞くと答えるのに反射的には返ってこず、考えるが発せられる言葉は、それほど深くない。こちらが知りたいところまで、何回も質問しないといけない。

 

幼少期、よく行方不明になり、探しに行ったものだ。

親は忙しかったし、私も子どもで、弟の面倒を見るよりも、友達と遊んでいたかった。だから、弟は一人で遊んでいた。で、よく行方不明になった。

今の時代なら、家から出ていかないようにするかもしれない。

 

 

弟は、物心つかない頃から数字に興味を示していた。
だから行方不明になっても、だいたい行くところはわかっていた。

近隣のエレベーターがあるマンションに探しに行けば、そこの数字に夢中になっている弟を見つける、というのが恒例となっていたのだ。

 

エレベーターの数字のボタンを押す。

すると、エレベーターは動き出しその階に進み、到着するとランプが消える。また、別の数字を押すと同様に動き出し到着して消える。

これを朝から晩まででもひたすらやって、楽しんでいた。

 

マンションの住人は、その姿を知っていたようだが「あ、また遊んでる」という反応だったようだ。しかし、あまりに頻繁なので、探しに行った時に、私たちも注意された。

母や私が謝って帰ってくるものの、弟は知らぬ存ぜぬで、相変わらずエレベーターで遊んでいた。いつの間にか、エレベーターで遊ぶ子として密かに有名になっていたようである。

 

しかし、あるときついに、見つからなくなった。

いつものエレベーターまで探しに行っても、弟はいなかった。そのエレベーターに飽き足らず、新たなエレベーターを求めて、旅が始まる。

 


小学校に入ると、養護学級(当時はこう言った)に入れるかどうか検討されたが、普通のクラスに入って様子を見ることになった。

小学校の1、2年の算数は、単なる計算だ。数字への興味が高じて、ほぼ満点の成績だった。それ以外の教科は、全く出来なかったが。

それでも、学年が上がるにつれ、文章題が多くなり、算数すらどんどん成績が落ちていった。文章の意味が理解できないからだ。

 


そうこうして、大きくなり、中学生になる。人より遅れて、言葉も覚えるようになっていたが、我が家は、あまり気にもしていなかった。母親だけが身の回りの心配をして、世話をしていた。私は、気が向いたときだけ、遊んだりした程度だった。特別扱いをせず、好きなようにさせていた。

高校は、我が家に金がないので、なんとか公立にいかせるか、支援学校かの選択だったが、公立の最底辺校に入れた。まあ、ヤンキー校で、いじめにあい苦労したようだ。

弟は、幼少期からよく食べるので、周りより身体が大きく、高校入るときには185㎝くらいになっていた。しかし、コミュニケーションが取れない、無抵抗主義だったので、いくら身体が大きくても、ヤンキーにいじめられた。

その頃は、子供同士の殴り合いの喧嘩は、普通にあった時代で、私も弟に、「お前の方が身体デカいんやから、パンチでも見舞ったれ」と適当なことを言った。弟は心優しいので、「いやだ」と抵抗していたが、いつしか、パンチをしたらしく、いじめが治まったようである。

 

 


弟はいつのまにか、エレベーター遊びは卒業し、たまたまもらった古い鉄道の時刻表にハマった。数字ばかり書いているからだ。

時刻表を見ていると、駅が進むごとに、数字が進んでいく。それに興味を示したのだった。それからは、エレベーター遊びというアウトドア派から、時刻表遊びというインドア派に変わった。時刻表を飽きもせず見続けているのだが、いつしか、すべて覚えるようになっていた。

 


さて、高校を卒業してからの進路をどうするかになった。その頃は、運よく祖父がまだ生きていた頃で、祖父が創業メンバーとして勤めた上場企業に、物流センターの担当として入ることになった。

その頃、その会社の社長は、創業者の息子さんに変わっていたが、創業メンバーである祖父は、社長が幼かった頃から可愛がっていたのだという。そんなこともあって、入れていただいた。

会社に入ると、数字の興味が活きることになる。

 

物流センターなので、商品カタログがあって、商品には商品番号がある。会社に入ってカタログを渡され、時刻表と同じように、またひたすら番号を見ていた。いつの間にか、カタログの商品すべて、商品番号と商品名をインプットしていた。コンピュータを叩かなくても、すぐに答えてくれる。

 

知的障がいがあって人とのコミュニケーションには困ったが、幼少期からの数字への興味が、仕事に繋がったのだ。

 


弟は昔からずっと、時間をかけて時刻表やカタログを見ている。それも飽きることがない。

誰かから時間制限を設けられたり、やり方について指示されることなく、自分のペースで見ている。

すると、誰も覚えられないくらい多くの数字がインプットされるようになるのだ。

私が、出張などで東京に着きたい時間をいうと、新大阪何時発の「のぞみ」何号に乗ればいいとか、すぐ出てくる。

カタログを見ながらクイズを出しても、商品番号何番は、何ていう商品というのも、すぐに出てくる。

 

仕事勤めをして給料が入るようになってからの趣味は、時刻表通りに旅をしてみることらしい。いわゆる「乗り鉄」だ。弟の遊びは、再びインドアからアウトドアに戻った。

時刻表通りに電車が進んでいくのが面白いようだ。実家のある大阪から日帰りできるところなら、どこまでも試してみたくなるようである。

障がいがありつつも、あることに特化してやっていると、それまた唯一無二の存在になれるものだと。

 

 

弟は今、40代中盤。もう立派な中年だ。

先のことはわからないが、定年まであと20年、その先の人生も、何か数字に繋がることが見つかるといいのだが。

 

 

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