古墳時代の土器を買った話

「器のこと知りたいけど、どっから手つけたら良いかわからへんくて……」と銀座で小籠包をつまみつつぼやいていた私に、「ほんなら、いっぺんうちの職場来てみたら?」と大学時代の友人。

聞けば、彼が学芸員として勤めている美術館では日本の縄文時代から現代まで、さらには世界各国のやきものが常設でこれでもか!という程に展示されているらしい。器は好きではあるけれど、体系的な知識はさっぱり持ち合わせていない私にとってはなんて有り難い施設なの!と色めきだって、2月10日。小雨の降る中、愛知県陶磁美術館に行ってきた。

 

リニモ

陶磁美術館へは、磁気で少しだけ浮いているらしいリニモで向かう

 

名古屋駅から小1時間。途中までジブリパークに向かう若者たちに揉まれつつ、1978年に開館した谷口吉郎氏設計の立派な建物に到着。たくさんの狛犬がお出迎え!

陶器でできた狛犬が並ぶ、天井には美しい照明

ところでこの照明、どこかで見たことが……と思ったら、同じく谷口氏の設計したホテルオークラと同じものだそう。

そして、お目当ての古今東西の焼き物が並ぶという常設展へ。

沢山の器が並ぶ常設展示室

縄文土器からはじまって、やきもの、やきもの、やきもの……!!!

 

イギリス ウェッジウッドのティーセット

全てをじっくり見てしまったら、1日じゃ到底足りない。時間には余裕を持って来たつもりだったけど、あまりの展示数の多さにキャプションを読み込む時間も足りず、直感的に目で見て回るしかない。

でもそうやって駆け足で古今東西のやきものを巡っていると、なんとなく好きだと思っていた系統が、どこの国のどの地方のものだったのか、朧気ながらも理解の補助線が見えてくるので面白い。

 

そして非常に個人的な好みを書いておくと、どうやら私は装飾が落ち着いてきた縄文時代の晩期、弥生時代、そして古墳時代までの、釉薬がかかってツルっとする以前の土器が好きらしい。さらには轆轤(ろくろ)というテクノロジーが登場する前の、手びねりで作られたゆがみのあるもの。あとは、赤焼きより、黒焼きの無骨なもの……。

 

海外の古いやきものの中でも特別惹かれたのは、イランの土器たち

 

しかし。こうして作り手のもとから離れ、本来の居場所や役割からも離れ、さらには時代までも越えて、そこに「もの」だけが展示されているのを見ると「これを然るべき時代に、然るべき役割を持った姿で目の当たりに出来ていたならば、どれほど良かったか!」という気持ちばかりが膨らんでいく。その時代の衣服に身をまとった人々が、そこで生まれた唄をうたいながら、そこにあった気候風土の中で、こうした土器を使って炊事をしていた景色は、どれほど美しいものだったのだろう!

だなんて焦がれてみても、やきものの命に比べて、人の命はあまりにも短い。この目で目の当たりに出来る時代なんて限られているんだからしょうがない。……と諦めても今度は、せめてこの器が使われている姿を見たくなる。あれには煮物を盛り付けて、これにはドクダミの白い花を活けて……と、そんな想像ばかりが頭を巡ってしまう。

もちろん、ガラスの向こう側の土器は非売品。この日は特別展のミュージアムショップでウィリアム・モリスのポストカードと図録を買って(そちらも充実の展示でした)素晴らしい職場を持つ友人と同僚の皆様に感謝を伝えつつ、次の目的地に向かった。

 


その翌々日の2月12日。私の欲深い気持ちが具現化してしまったのか? ガラスの向こう側にあったはずの土器が、手に取れる場所に現れた。

地元、千里ニュータウンにある美しいギャラリー、ippo plusにて。この日開催されていたのは、岐阜で古物商を営む「本田」の個展『風土の工芸と古民具』。私が訪れたのは最終日、それの最後の15分。もうきっと、ほとんどのものが売れてしまってるんだろうな……けどひと目だけでもギャラリストの里依さんに会いたいな……と、閉廊直前に全力疾走してギリギリ駆け込んだところ、端正に並んだ古道具の先に、このまるい土器があった。

 

「このまるいの…里依さんが作ってたパンみたい!」
「ほんまや、パンみたいやね。これは、古墳時代の土師器(はじき)やね」

 

ippo plusは2014年からギャラリーとしての歩みを始めたのだけれど、それよりもずっと前、里依さんは「ippo」という屋号のもとで、まるいパンを作ってご近所さんに売っていた。子どもの歯には少し固い、でも噛んでいるうちに自然な甘さが口いっぱいに広がる、とびきり美味しい天然酵母のまるいパンだ。私にとっては美味しいパンを焼く近所のお姉さんだった里依さんが、いつの間にかその道では有名なギャラリストになって驚いたのだけれど……そんな彼女が売っている、パンみたいな土器。しかも、古墳時代の、黒く焼かれた|土師器《はじき》。惹かれないほうがむずかしい。

「…触ってもいいです?」
「ええよ、ええよ!」

ざらりとした、でもあったかい触り心地。確かに誰かの手で作られたものが、自分の手の内にすっぽりと収まる。ほ、欲しい……。しかし私はしがない物書き。この土器は、えっと…400字詰め原稿用紙何枚分で……と頭の中で計算する。うーん。うーーーーーーーーん。……と悩んでいるうちに、閉廊時間が過ぎてしまった。ええい、買います!

ありがとうね、と言いながら里依さんがそれを包むために持ち上げる。彼女が持つと、やっぱりパン。丸いパン。

丁寧に梱包してもらったそれを、割れないように、割れないように……と神経をすり減らしながら、東京の自宅まで持って帰った。古墳時代から割れずにここまで来てくれたのに、私が割ってしまったらアカン。

……と思っていたけどこの土師器、どうやら一度割れているらしい。古物商「本田」店主の本田さんによると、頚部はもう少し長く端反りした形状だったのでは、ということ。確かに口の部分をじっくり見ると、割れてからしばらく経って、角がとれたような歪さがある。

ガラスの向こう側に展示するなら、もちろん割れていない土師器のほうがいいんだろうな。けれども、私としてはこのまるい形に惹かれてしまったのだから、価値なんて人によってどうにでもなってしまうもんやな……と、少し可笑しくなる。

さらに、家にあった『日本やきもの史』(美術出版社)をめくってみると、こんなことが書いてあった。

“美術史的に考えれば、赤焼時は、縄文土器と弥生土器がすぐれ、古墳時代の土師器はかなり内容は薄らぎ、奈良時代のかわらけには、造形的魅力はほとんど無いといってよい。”(P.07)

“造形技術のうえでも、また造形系譜のうえでも、古墳時代の赤焼土器と弥生土器の間には全く断層はなく、一連の展開された系統の上にあるが、考古学者は、古墳時代になって作られる弥生土器を、別に土師器と読んで別扱いにしている。造形的には、4,5,6世紀と時代が下がるに従って、土師器は造形力が退潮していく。ということは、土器はもはや時代の主役ではなくなったことが暗示されており、人々の関心が低まると、陶工の作る気力も衰えていったのである。“(p.31)

※太字は私によるもの

……「内容は薄らぎ」「作る気力も衰え」と、なかなかの言われようである土師器……!

対して、縄文中期の縄文土器は「その意匠取りは、いかにも怪異な抽象意匠を形成して、世界の原始美術の頂点に立ったのである」(p.16)と大絶賛されている。いやもちろん、神々を召喚できそうな縄文土器の造形に比べれば、土師器の造形はあまりにも平凡。でもそれが、妙にしっくりくるのだ。飾ってみると、あぁ、やっぱり馴染む。

 

本を閉じて、ふとInstagramで #土師器 と検索してみた。すると今度はたくさんの、今の暮らしの中で生きる土師器の姿が出てきた。

土師器じゃないものもあるけれど


まるいパンみたいな形になる前のもの、もっと歪な形で割れているもの……さまざまな土師器が、いろんな人の暮らしの中で使われている。

器のことはまだまだよくわからない。けれども、やきもの史の土師器の説明の下には「のちに、素朴な造形を好む令和の市井の人々によって愛される」と書かれる日も近いかもしれないな……だなんて思いつつ。ひとまず「でも、私は好き」とだけ加筆しておいた。

 

 

 

 

 
Information

愛知県陶磁美術館
ものすごく広い。本格的な陶芸体験も出来るみたいなので、次はそれをやりたいな。

ippo plus
住宅街の中にあるギャラリー。3月28日まで、小倉広太郎さんのさまざまなボウルが展示されてます。

最近、何を買いましたか? ―自分らしいものの選び方、暮らしのつくり方

03月26日、日曜日のお昼からホテルプロデューサーの龍崎翔子ちゃん、Takramの佐々木康裕さんと、ものを買う、ということについてお喋りをします。さまざまなものが売られるお祭り、ライフスタンス・エキスポの中での開催です。上記リンクから事前ご予約が必要ですので、ご注意くださいね。

 

この文章は2023年2月28日にnoteメンバーシップ『視点』に掲載したエッセイを転載したものです。『視点』では毎月だいたい3本、文章をお届けしています。

 

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