「ここじゃない世界」に行きたかった アイルランド紀行

「じゃあ、アイルランドはどうですか? ダブリンは良い街ですよ。少し雨が多いけど……」

留学先を探していたとき、そう提案された。

他の候補地はどこも魅惑的なビーチやナイトクラブが自慢で、開放的になりきれない私には来世にとっておきたい目的地だった。

 

 

「雨の多い街、ダブリン」
なんと心地よい響きだろう。

 

雨は嫌われ者かもしれないが、雨がもたらす効果は潤いだけではない。

雨のせいで多くの人が家の中でじっと時間を過ごし、雨のせいで頭の中で思考を巡らせているとしたら……それはとても魅力的だ。

アイルランドといえば、スカートを翻しながらステップを踏みたくなるようなケルト音楽や、古代ケルトの祭りが起源であるハロウィン、ギネスビールやアイリッシュパブなどが有名だが、同時に、多くの偉大な詩人を生んでいる。

 

「ケルト民族は心になんの傷を受けるまでもなく、幻視家なのである」

——これはアイルランドの著名な詩人、ウィリアム・B・イェイツの言葉だ。

降雨量と詩人輩出率の因果関係などは知ったこっちゃないが、アイルランドで過ごす30日間に備えて、雨でも動きやすいお気に入りの服と、折り畳み傘、数冊の本をスーツケースに詰め込んだ。

 


せっかく何時間もかけてヨーロッパに行くんだから……と、目的地のアイルランドに行く前に、欲張って少しだけパリに滞在していた。パリの街は紛うことなく美しい。しかし残念ながらパリ郊外にある工場やディーゼル車による排気ガスの影響で、空気はちっとも美味しくはない。

シャルルドゴール空港から1時間半。ダブリン空港に着いた瞬間、久々にフレッシュな空気を吸い込み、細胞が喜んだ。

空港のロビーにはアップライトピアノが置いてあり、おじさんが楽しそうに演奏している。素人演奏だったけれども、パリの権威的な美しさに囲まれた後だったからか、そのほがらかな演奏に気持ちがほっとする。ピアノが気楽に弾ける街は良い。

 

ダブリン中心街に向かう途中、白髪の美しい運転手さんと、こんな会話をした。

 

──どこから来られたんですか?

日本です。

──日本!それはまた、本当に遠くから、そして大きな国から来られたんですね。

大きい? 日本が、ですか?

──人口の多い、大きくて立派な国でしょう。アイルランドの人口をご存知ですか?

えぇと……

──460万人です。あなたの国はどうですか?

1億人ちょっとです。

──億! ほらやっぱり、日本は大きな国だ。

 


 

車窓はのどかな牧場から、少しずつヨーロッパの古い街並みへと景色を変えていく。

 

 

ダブリン中心地からほど近い住宅街でタクシーを降りた私は、「どうかレビュー通り素敵なホストマザーでありますように……」と願いながら金色のドアノッカーを持ち上げ、カン、コンと叩いた。

 

出迎えてくれたMarieは、ちょうど私の母と同い年。ひと目みただけで、懐が広く、人情深い人だと確信できた。

私がスーツケース二つを二階の小さな部屋に運ぶ間に、彼女は紅茶をいれてくれた。小さな庭の見えるキッチンに、古いけれど可愛らしい食器と、乾燥したクッキー。この小さなキッチンにはアイルランドの家族が暮らしてきた手触りのようなものがあった。

なぜここに来たのか、普段はどこで暮らしているのか、パリはどうだったか、ダブリンで美味しいレストランはどこか……他愛もない会話なのに、まるで物語の中にでも入り込んだかのようで、私はあらゆる現実から開放された気がした。そんな瞬間、ラジオからニュースが流れてくる。

 

 

「もう毎日毎日、このニュースばっかりよ」

 

毎日のトップニュースといえばもちろん──イギリスのEU離脱問題だ。

アイルランド人にとって、EU離脱問題ほど日常を左右するニュースはない。そもそもアイルランド王国の歴史は、強すぎる隣人、イギリスの支配から脱しようとしてきた歴史でもある。そして今も、アイルランド島の北部に位置する北アイルランドは、イギリス……つまり「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」の一部でもあるから事態は複雑だ。

 

ダブリンいち有名な産業といえばギネスビールだが、醸造所はダブリンに、瓶詰めをする工場は北アイルランドにあるらしい。それに毎日、北アイルランドとアイルランド王国を通勤する多くの人々は、今はなんの検閲もなくその「国境」を超えている。人だけではない、数多の商品や資材、経済的な営み──…

そうした話をしているうちに、物語モードだった私の脳内はすぐさま現実モードに切り替わる。

 

 

私たちは「ここじゃない世界に行きたい」と今いる場所から離れたくもなるけれど、その遠い場所では結局、別の現実の中で人々が懸命に生きている。

もっとも、私は一昨年から拠点を半分ニューヨークに置いているが、雑誌で読むニューヨークと暮らしてみるニューヨークは、まるで違う。資本主義の総本山であり、多すぎる芸術家の卵が難易度の高すぎるロッククライミングにすし詰め状態で挑んでいるような街だ。そこで暮らし続けるには上位1%の成功者になるか、割りに合わない家賃を払って窮屈な家に住み、泥水を飲み続けながら歯を食いしばるか──…そんな二択だ。毎日のトップニュースはもちろん「トランプ大統領のびっくりツイート」から始まる。実に素晴らしい目覚めだ。

 


 

アイルランドで仲良くなった、Allaという女性がいる。

滞在期間中にダブリン在住のクリエイターと出会いたいとInstagramで探していたところ、Allaのアカウントに辿り着いた。彼女の仕立てるジャケットに一目惚れし、オーダー出来るか尋ねてみたところ、すぐにオーダーメイドでこしらえてくれた上に、トントン拍子で仲良くなり、アイルランドで過ごす1ヶ月の間で10回も一緒に時間を過ごした。

彼女はベラルーシ出身のファッションデザイナーなのだが、大学で生物学を専攻し、その後企業に就職。しかしキャリアを大きく変えて服飾の世界に入ったそうだ。彼女の作る衣服は自然や動物に優しく、地球に溶け込むような素朴な美しさがある。私がオーダーしたジャケットは一見レザーに見えるものの、実はリネンに特殊な加工を施したものであり、製造過程で動物の殺傷をしていない。

彼女には自身の哲学があり、内気ながらもとても物知りで、思慮深い女性だった。

 

オーダーメイドで作ってもらったジャケット

 

そんなAllaのアトリエの本棚に、日本の美意識についての書籍があったので、少し見せてもらった。美しい本だった。

ページをめくると、浮世絵や、漆、茶道に華道。絹や藍染の美しさに、龍安寺の枯山水。金継ぎや侘び寂びなどの、時の経過すら慈しむ精神性──…。

 

こうしたものを見ると、嬉しさ3割、不甲斐なさ7割──…といった、なんともいえない気持ちになる。だって、こうした日本古来の美意識を今の日本で堪能するためには、かなり計画的に行動しなければいけない。「日本の美は、引き算の美」だと言われても、街中は足し算で溢れかえっている。それが悪いという話でないのだが。

 

 

 

ふと、NYで仲良くなった画家のEstherのことを思い出した。アメリカ生まれの彼女も日本の美意識を深く学んでいて、中でも谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』(英題:In Praise of Shadows)は素晴らしい1冊だと言及していた。

そこで賛美されているのは、電灯がなかった時代の日本の美意識。たとえば暗がりで羊羹を食べるというだけの行為であっても、谷崎はこれほど芸術的に描写している。

“だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色がかろうじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。

人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。”

──『陰翳礼讃』より

 

欧米で生まれ育った人たちがこうした「日本」の伝統文化を求めるとき、そこに登場する日本人は、大量消費・大量生産の波にもまれず、凛とした立ち姿で自然と共にあゆみ、細部に宿る精神性を大切にしている。

彼ら彼女らにとって、日本は遠い国だ。そして島国であり、独自の言語を話す。

資本主義を貫いてきた欧米のルールを疑ったとき、そうした「神秘的で遠い国」のあり方が参照されることは納得がいく。しかし、今の日本はどうだろうか。

 

ちなみに、陰翳礼讃が出版された1934年の段階では、日本ではまだ蛍光灯すら発明されていない。そんな中で谷崎は、現代の日本は明るすぎると憤っているのだから、今日の日本を見れば失神してしまうかもしれない。

欧米と異なり、日本の美意識は陰影に宿るといったことが散々誇り高く書かれているものの、現代においては、電車もコンビニも住宅街も、欧米よりも日本のほうがずっと明るいだろう。

 

 

 

──翌日から始まる語学学校にそなえて必要なものを買いに、川辺を歩いて中心街まで出かけた。ちょうど白鳥たちの帰宅時間だったようで、くすんだ空を映した水面に泳ぐ白鳥たちとすれ違いながら歩く。どんなに忙しい人であっても、この景色を前にすれば心穏やかになるだろう。

 

 

 

 

さて、私がアイルランドに来た目的は、他でもない語学留学だ。私が通うことになったのは、ダブリンの中心地にあるAtlas Language Schoolという語学学校。小さいながらとても評判の良い学校で、Marieも「ダブリンならあそこが一番よ」と太鼓判を押していた。

 

Atlas Language School

学校に通うだなんて8年ぶりだったし、30歳にもなって学校という空間に馴染めるのかと緊張して入学したものの、同じクラスになった私より年上のメキシコ人女性のほうがずっと緊張していた。メキシコ人にも内向的な人がいるのか、と色眼鏡がひとつはずれた。

 

学生は、ざっくり2世代に分かれている気がした。まずは、18〜21歳くらいの大学生。少数派の日本人や、中国人、韓国人、台湾人などの東アジア系はおおよそこの年代で、彼ら彼女らは毎日新しい出会いにワクワクしてた。最初は不安な表情をしているものの、すぐに友達をつくり、怒涛にコミュニケーションをしていく姿を見ると、やはり若さは強さだと思った。

そして、仕事を辞めて留学に来た30歳以上。この世代はメキシコやブラジルなど南米からの留学生が多い。自らの貯金をはたいて1年ほど留学するという人がほとんどだったが、午前中は学校に通い、午後は街中でアルバイトしていた。彼ら彼女らは非常にリアリストだった。

 

 

「これまで、命の危険を感じたことはある?」

授業中、先生からの何気ない質問に、1人のブラジル人生徒は近所で銃口を向けられた話をした。私はそんなブラジルの現状にカルチャーショックを受けるばかりだったが、そこから堰を切ったように彼ら彼女らは自国の生き辛さを伝えてきた。税金が高すぎること。リオ五輪で全てが吸収されてしまったこと。治安がどんどん悪化すること。地価が上昇するのに給料は上がらず、みんな郊外の実家から毎日職場に通っていること──。

それに比べて、自分は「ゆとり」を集めて人の形にしたような、なんとも平和な姿かたちをしている。平たい顔だからという理由でもなく、のんびりとした顔つきなのだ。まぁ日常生活に文句はあれど、命の危険を感じることなんてなかった。そこはもう、恵まれているとしか言いようがない。

 

しかし別の日。

「幼い子がピンクの髪に染めたり、タトゥーを入れたりするのはどう思う?」

そんな質問を受けてみんなが持論を主張している中、私は「日本では大人になっても茶髪NGの職場がたくさんあるし、中高生では天然の茶髪や金髪であっても黒染めさせられる学校があって……」と答えた。

 

そう話した時の、クラスメイト全員の表情は忘れられない。生まれ持ったDNAを否定されることは、彼ら彼女らにとっては、人権侵害でしかないのだ。

 

 

 

週に2回マンツーマンレッスンを受講していたのだが、私と年齢の近いアイルランド人女性講師とお喋りする時間はただただ楽しかった。アイルランドの良いところ、日本の良いところ、また許せないところなどを、休憩時間も忘れて語り合った。

 

たとえば、就活スーツに身を包んだ就活生の集合写真を見せたときなんて、彼女は “Same,same,same,same,same!!!” と嘆き、画一的で無個性なビジュアルに激しくショックを受けていた。

私が日本で生きる上で息苦しいと思うこと──…たとえば、多くの女性が結婚時に姓を変えること、同性愛者がまだ法のもとで家族になれないこと、避妊薬を手に入れるハードルが高すぎること。そんな話題を日本人同士で話している時よりもずっと、彼女は驚きや苛立ちをあらわにしていた。

 

ちなみにアイルランドは厳格なカトリック社会で、欧州で最も保守的な国だとも言われており、1993年まで同性愛は「犯罪」とみなされていたほどだ。しかし2011年にはパートナーシップ制が、2015年にはついに同性婚が合法となる。有権者の60.5%がその時の国民投票に参加し、賛成は62%という僅差での勝利。

「私たちが憲法を変えた」という意識は強かった。

 

 

そんな具合でマンツーマンレッスンをしている最中に、ちょうど日本が令和を迎えた。

「日本には和暦があって、私は1988年生まれだけど、日本の資料には昭和63年と書くの。私より後に生まれた人は平成、そして今この瞬間からが令和。」

 

──こう言うと大抵のアメリカ人なら「わぁ、なんて面倒なシステムなんだ!」と返してくるから、きっとここでもそうした反応だろうと高をくくっていたところ、アイルランド人の彼女は「なんて素晴らしいの!」と感嘆した。

 

独自の暦を守り、独自の言語を守り、独自の文化を今も守っている。そのことがいかに尊いことであるか、熱弁されたのだ。

 

というのも、アイルランド語を扱える者はごく僅か。強すぎるイギリスの支配だけではなく、「英語のほうが便利だから」という現実が、彼らの言語文化を過去の遺産としてしまった。

日本のオフィスは隅々まで蛍光灯でピカピカに輝き、陰翳礼讃なんて愉しめたものではないけれども、それでも私たちは今も、日本語を話し続けている。世界で愛される評論を原文で読み、自らの思考を同じ言語で綴ることが出来ることは、私が考えているよりもずっと重要な営みなのかもしれない。

 

 

グローバル社会において、英語が不得意であることは言うまでもなく大きな損失だ。

Webサービスを作るにも、日本人が日本語版を英語版にえっちらおっちら翻訳しているうちに、英語ネイティブが出した類似サービスが世界を席巻していることだってある。

GoogleやAmazon、FacebookやApple、そしてNETFLIXのような世界のプラットフォームとなるようなサービスが日本から生まれ得ないことを、何度うらめしく思っただろうか。事実、アイルランドの公用語が英語であるという利便性により、上述したGAFAのような巨大テックカンパニーの多くがヨーロッパ支社をダブリンに置いている。IT企業で働く若者にも多く出会った。

と、うらめしく思っていても仕方ないか……と英語をせっせと地道に勉強している間にも、英語も公用語であるインドからはOYOなどの様々なプラットフォームが続々と登場し、世界の「基準」を作り初めている。

そして私は今月も、GoogleやAppleなどにサブスクリプションで数百円ずつ支払っているが、それはさながら巨大テックカンパニーへの「納税」だ。

 

 

──それでは私たちは、搾取される側の弱者なのだろうか?

 

 

AllaやEstherだけではなく、日本の美意識を尊ぶ外国人は少なくはない。不必要なモノと情報が溢れすぎる世界の現状に対して、そうした「異なる価値観を持つ世界」が存在するということは、多くの現代人の心の支えにもなるのだろう。

しかし今現在の日本に場所を選ばず彼女らを連れて行ったとき、どれほどの本質を伝えられるだろうか。

 

私が追い求めるべきものは、爆速で画一化されていく巨大プラットフォームと張り合うことではなく、そこに並走することでもなく、濁流の中でこぼれ落ちてしまう心を慈しむことではないのだろうか。

 

プラットフォーム大戦争に小さなヨットで挑むよりも、ゆっくり歩み、心を見つめ直すことこそ、私がこれからやるべきことではなかろうか。

 

 

 

 

──実を言うと、このコラムではアイルランドの観光的な側面ばかりを描写したいと考えていた。妖精の国の神秘、美しい曇り空や、おせっかいで人情深い人々、美しく手入れされた公園に、気軽に音楽を奏でる演奏家たち、市民や観光客に無料で開放されている美術館で味わった作品の数々──…。

Eamonn Doyle’s Exhibition | RHA Gallery

 

でもそうした「素敵な外国」らしさだけをすくい上げて伝えることは、ある種罪深い。

憧れの異国をメディアが賛美すればするほど、私たちは「逃げたい」と思ってしまう。しかし実際のところ、逃避した先にもまた、現実があるだけなのだ。

 

 

 

それであれば、現実を嘆いて存在しないユートピアを夢見るよりも、今を少しでもマシな方向に進めるほうがずっといい。

もちろん、その都市、国、地域が、肌に合う、合わないというのは大いにあるだろう。ただ、大都市であれ、大自然の中であれ、ユートピアみたいなものは存在しない。私はダブリンの空気は肌に合ったけれども、他の人に聞くと雨が多くて辛いと嘆いていた。

 

──これまでは、文化人なら文化の話だけ、ファッショニスタならばファッションの話だけしていれば、その「憧れ」で飯が食えた時代だったのかもしれない。でも、もう違う。マスメディアが音を立てて崩壊していく中で、作られた世界の内情は露呈していく。そこに純粋無垢に憧れ続けられるほど、私たちは馬鹿ではない。

 

「ゆとり」を集めて人の形にしたような私ですら、ぼんやりしちゃいられない、と静かな闘志を抱いているのだ。私たちは、人が人としてあたりまえに生きるための言葉を取り戻していかなきゃいけない。

 

 

──語学学校に通いはじめて、ようやく迎えた最初の週末。

やっぱりダブリンは雨模様で、たまり溜まった洗濯物が乾かせない。部屋の中の小さなヒーターに大量の洗濯物をぶらさげながら、部屋干しの香りがする中で、私は溜まった感情をひたすら文章にしていた。

 

 

 

 

写真・文章: 塩谷舞(@ciotan

日々の“視点”は、こちらに記録しています

 

 

 

 

 

あとがき・おしらせ 

Atlas Language School

ここからはお知らせです。

今回の留学中、Twitterなどでダブリンのことを沢山書いていたら「ダブリンの語学留学に興味があります!」というお問い合わせを他数いただきました。とはいえ、私はすべてのご質問になかなかお返事出来ず……。(ごめんなさい…!)

ということで、私が通っていたAtlas Language School唯一の日本人スタッフである高嶋晋平さんに繋がる問い合わせフォームをつくりました!(※また、留学が成立した場合は費用の一部がmilieuに還元される仕組みを作ってくださいました。ありがとうございます!)

行くかどうか迷っている……という方も、ぜひお気軽にご相談くださいとのことです。

 ▶お問い合わせフォームはこちらからどうぞ。

また、上記のフォームから問い合わせてくださった方には、私が書いた「ダブリン初日の友達ノート」の閲覧パスワードをお送りしています。

語学学校の初日はやっぱり勝手がわからず、私自身とても不安だので、そこを少しでも安心して過ごしてもらえますように、という読み物です。

よくある質問、授業料や授業内容などは公式サイトにも日本語で掲載されているので、そちらをぜひご確認ください!

私の日々の感想は、こちらのTwitterのモーメントにまとめておりますので、よければそちらも参考にしてみてくださいね。私は1ヶ月のみの短期留学。もちろん成長の実感はありましたが、やっぱり3ヶ月以上の留学をオススメします……!


Álla Studios

Special Thanks : Alla Sinkevich & Vit Sinkevich

ダブリンで一番お世話になった友人、Alla。彼女がいたからこそ、話したい!という気持でスピーキングがかなり上達したようにも思います。気の合う友人は大事ですね……。

外国での友人の作り方や、様々なライフハックについてはこちらの記事にまとめています。

そして彼女と訪れたレストラン情報もシェア。正直、ダブリンではなんのリサーチもなくレストランに入ると失敗することも多く……。でもAllaとパートナーのVitに連れていってもらったレストランは、どこも本当に美味でした!

・Vitのお誕生日を3人でお祝いした、カジュアルながら美しいお料理を楽しめるBastible。店内のインテリアもとても好みでした。( →Google Map

・牡蠣が好きだという私に、「ここが一番のシーフードレストランだよ!」と連れていってくれたKlaw by Niall Sabongiは絶品でした。予約がとれないので、少し並んでから入ったよ。( →Google Map


Japan Style(著:Gian Carlo Calza)

Allaが持っていた日本の美意識を紹介する一冊。Amazonでも手に入れられます


陰翳礼讃(著:谷崎潤一郎)

NY在住の画家・Estherも推薦する1冊。欧米で日本文化を好む人が必ず通る1冊なのかもしれません。AmazonではオーディオブックとKindleが0円でしたよ。


ブリタの浄水器

日本は軟水ですが、ダブリンは硬水です。水道水も飲めるものの、私はかなりお腹を壊してしまいまして……。そこで途中、街中で探して探して手に入れたブリタの浄水器。これを使いはじめてからはかなり調子が良くなりました(個人の感想ですが…!)。最初からAmazonで買っていけば良かった〜…と後悔したので、書いておきます!

 

このエッセイは、2021年2月25日、文藝春秋より販売された『ここじゃない世界に行きたっかった』にも収録しています。同書は、過去にmilieuやnoteで発表したエッセイを大幅に加筆・修正し、さらに6編の書き下ろしを加えたエッセイ集です。

Amazon / 楽天ブックス / 紀伊国屋(海外配送可)/ honto(海外配送可)/7net / TSUTAYAオンラインショッピング / e-hon / Honya Club / 大垣書店

はじめに

Ⅰ 共感、美しくあること

SNS時代の求愛方法
数字が覚えられない私、共感がわからない夫
ニューヨークで暮らすということ
美しくあること、とは
私はそのパレードには参加出来ない
「ここじゃない世界に行きたかった」――アイルランド紀行

Ⅱ じぶんを生きる
「化粧したほうの私」だけが存在を許される世界で 
人の話をちゃんと聞いていませんでした 
私の故郷はニュータウン 
先に答えを知ると、本質に辿り着きにくくなる
競争社会で闘わない――私のルールで生きる
ミニマルにはたらく、ということ

Ⅲ 生活と社会
晴れた日に、傘を買った話
五感の拡張こそがラグジュアリー
徒歩0分のリトリート
BLM、アジア系アメリカ人、私の考えていること
大統領選、その青と赤のあわいにある、さまざまな色たち

Ⅳ 小さな一歩 
大志は後からついてくる
続・ニューヨークで暮らすということ
「良いことでは飯が食えない」への終止符を
私の小さなレジスタンス
大都市から離れて
50歳の私へ

あとがき

 

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