プライドを積み上げてきた(であろう)50歳の私へ

ここ最近、スコールのような雨がよく降る。

 

笑っちゃうような土砂降りと、窓ガラスが壊れそうな雷の轟音に怯えつつ、狭いシェアハウスの部屋の中で黙々と記事を書く。

雨の音をかき消すくらい大きな声で、シェアメイトたちの楽しそうな会話が聞こえてくる。会話に入りたいのに、英語がまだ半分も聞き取れない。毎日、英語を話して話して話さなきゃ……と焦る中で、日本語の記事を書いている自分にもジレンマを感じる。ついつい集中力が切れてくる。

英語の勉強になるからと言い訳をしつつ、窓の外の土砂降りにならって『雨に唄えば』を199円でダウンロード。夕食を食べながら、パソコンの小さな画面で観始める。(生きた英語表現を覚えるには、66年前の映画はちょっと古すぎるかもしれない)

 

土砂降りの中、最高の幸せと未来を喜びながら歌い踊るこのシーンがたまらない。ここだけは、ずっと昔から覚えていたシーン。なんだけれども、同じ作品でも、幼い頃のわたしが観たときと、29歳のわたしが観るとき、見えてくるものはまったく違う。
 

 

物語は、サイレント映画全盛期。

そこに突然「トーキー」という音声映画のブームがやってくる。最初、業界関係者には嘲笑されていたその技術も、大衆には大ウケ。トーキー映画のブームに、次々とキャリアのある大物役者たちも「声」と「歌」を求められるようになる。

それまで大衆に愛さていた大女優は美しく、名声も確立されている。しかし、残念ながらひどく声が悪い。滑舌が悪く、甲高い声。しかも無自覚の音痴だ。

 

こういった、サイレント映画からトーキー映画への転換期、その中での「時代の寵児」の移り変わりについてはミシェル・アザナビシウス監督の『アーティスト』などでも描かれている。

……というよりも、テクノロジーの進化によって新たに作られる文化と、それと反比例して終わりゆく文化があること、そこにプレイヤーたちの移り変わりがあることは、いつの時代だってとても切なく、物語があり、そして大衆の関心事でもある。

 

トーキー映画が一大ブームになったのは、今からおよそ90年も前のことだけれども。今の時代だって一緒だ。というより、インターネットの登場以降、小さなブームが毎年のように生まれては、「時代の寵児」の顔ぶれも速いサイクルで変わっていく。そんな話は、先日noteに書いたばかりだ。

 

 

私はTwitterが好きだし、こうやってインターネットに文章を乗せていくことが好きだ。好きこそものの上手なれで、ありがたいことにそれが仕事になった。ラッキーだ。

けれども、「今のトレンドは縦長動画です!動画編集してください!」と言われても、ちょっと苦手。(ハタチ前後の子達が勧めるアプリを入れて挑戦してみるけれども、その子たちのようにのめり込めないし、まったく良い感じにならない)

 

私がツイッターにハマったのは20歳の頃。でも、もうすぐ30歳。

これからどんどん、「トレンドだな、やらなきゃいけないのかな、でも、苦手だな」と思うことが、どんどん増えていくんだと思う。

 

『雨に唄えば』の話に戻るけれども……(ネタバレあります)

 

 

サイレント映画時代の大女優は、トーキー映画時代に突入した時、美しい声を持った若い女優を、自らの「アフレコ専用の人材」として裏方に徹させようとする。

「私は大統領よりも稼いでいるんだからね!」
「私が出れば次回作も稼げるのよ!」
「私と無名の若手女優、どっちが大事なの?!」

……と、権力を駆使しては若き女優のデビューを阻止し、映画界の頂点に居座り続けようとする。

しかし、周囲は大女優よりも、トーキー映画の世界で生きていける若手女優に味方する。結果、大女優の名声は地に落ちてしまう……

 

 

ルールが激変する中で、一番邪魔になるのは、高く積み上げてしまったプライドだ。

でもプライドと上手に付き合うのは難しい。それは自分が苦労をした年月が長ければ長いほど、セメントみたいなもので高く高く、塗り固められてしまうのかもしれない。その苦労を知らずにひょいひょいと乗り越えていく若者をみると、自らの苦労を押し付けてしまうのかもしれない。
 

私は今、慣れないアメリカ暮らしをする中で、東京でそれなりに高く積み上げてしまったプライドをドリルで壊されている真っ最中。毎日の日課は掃除と料理、スーパーへの買い出し。

仕事をしようにも、コネクションもなにもない。暗中模索とはまさにこのことで、Googleで調べて出てきたミートアップなんかに手当たり次第に参加してみては、英語が下手すぎて相手にもされず、友達作りですら大苦戦中。

今、だれかが手を差し伸べてくれたら涙が出るほど嬉しい。それが物理的なものでも、金銭的なものでも、精神的なものでも、なんでも嬉しい。Twitter越しに頑張る友人の姿を見るだけでも、今の自分には元気が出る嬉しい薬だ。
 

 

そんな今だからこそ、20年後、50歳の私へ。忘れないように手紙を書いておきます。
 

 

 

2038年、50歳の私へ



アメリカでの生活は、上手く軌道に乗れたでしょうか。

そうであると信じています。きっとあなたは得意のSNSを駆使して、そして苦手な英語を克服して、なにかしらの事を成し遂げてくれていると信じています。そんな自分を、もうめちゃくちゃ、褒めてあげてください。今の私からすると、その姿になるまでの難易度が高すぎるからです。

でも、目まぐるしく変わるインターネット時代において、自分の磨いてきた能力を過信しないでください。これからも技術を習得し続けて、プレイヤーで居続けようとするのは、難しいかもしれません。少し切ないことですが。(きっと、インターネットを超える何かが中心になっているのかもしれないですね)

でも50歳の私はきっと、今の私よりも少し、お金に余裕があるんだと思います。(あって欲しいという欲深い願いを込めて)

だから、そのお金を、若くて、いちばん才能あるプレイヤーのために使ってください。
で、そこでの注意なのですが、絶対に、絶対に押し付けがましくしないでください。その人たちの声を聞いて、学んで、その視野や才能を見せてもらう対価として、金銭を支払ってください。

「歳下」だからって、自分の「下」だ、というわけじゃありません。

あなたとは使ってきたツールが違う。接するメディアが違う。成功体験も違う。だから価値観が違う。「あなたと私は、価値観が違うね。でもそれを教え合いましょう」と、学び合ってください。歳の離れた友達になってください。

そうすれば、きっと40年後……90歳のあなたは、今よりもっと幸せになるんだと思います。

29歳のとき、結婚式でもらった「おめでとう」もすごく嬉しかったけれども、お葬式でもらう「ありがとう」はもっと嬉しいかもしれません。

 

 

 

Text by Mai SHIOTANI(@ciotan

Photo by @sakikohirano

このエッセイは、2021年2月25日、文藝春秋より販売された『ここじゃない世界に行きたっかった』にも収録しています。同書は、過去にmilieuやnoteで発表したエッセイを大幅に加筆・修正し、さらに6編の書き下ろしを加えたエッセイ集です。

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はじめに

Ⅰ 共感、美しくあること

SNS時代の求愛方法
数字が覚えられない私、共感がわからない夫
ニューヨークで暮らすということ
美しくあること、とは
私はそのパレードには参加出来ない
「ここじゃない世界に行きたかった」――アイルランド紀行

Ⅱ じぶんを生きる
「化粧したほうの私」だけが存在を許される世界で 
人の話をちゃんと聞いていませんでした 
私の故郷はニュータウン 
先に答えを知ると、本質に辿り着きにくくなる
競争社会で闘わない――私のルールで生きる
ミニマルにはたらく、ということ

Ⅲ 生活と社会
晴れた日に、傘を買った話
五感の拡張こそがラグジュアリー
徒歩0分のリトリート
BLM、アジア系アメリカ人、私の考えていること
大統領選、その青と赤のあわいにある、さまざまな色たち

Ⅳ 小さな一歩 
大志は後からついてくる
続・ニューヨークで暮らすということ
「良いことでは飯が食えない」への終止符を
私の小さなレジスタンス
大都市から離れて
50歳の私へ

あとがき

 

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