細分化されすぎた東京の芸術は、本当に「日本一」なのか?
2017.02.7
「日本で一番人が集まっている東京は、日本で一番面白いモノがあるはずだ!」
って、単純な考えで上京したのが6年前のこと。
美術館ではいつも大御所作家の展覧会が開催中で、街では毎日のように気になるイベントが開かれていて。ライブハウスも、劇場も、ギャラリーも、ミニシアターも数え切れない。Facebookを開けば、パーティーのNotificationはもう処理しきれないほど溜まっている。
本当に東京は、暇のない街。
一駅進めば、そこに住む人の空気はガラッと変わるし、
必ず誰かにとっての心地よいコミュニティがある。
気の合う仲間と、共同体を作ることが出来る。
最後まで言わずとも、相手の表現したいことがわかる。
彼らが望む世界も知っている。
この上なく、居心地が良い。でもそれって、時にすごく恐ろしい。
むかし、京都でイベントを企画していたときには、何千、何万というお客さんに来てもらおうと思うと、老若男女に受け入れてもらえなきゃいけなかった。
「理解してもらえないかもしれない」
っていうヒリヒリとした緊張感の中で、受け入れてもらいやすいものと、本当にやりたいことの両者を混ぜ合わせるのが、私の役割だとも思っていた。そんな緊張感を超えて、歳の離れた人から「これは良いね、はじめて見たけど、本当におもしろいわね」と言ってもらえる。そんな、歳の離れた友人が出来た瞬間が、私は最高に大好きだったんです。
ところが、東京だと「本当にやりたいこと」をストレートに出すだけで、驚くほどに集客できてしまう。ニッチなイベントでも、Peatixのチケットは一瞬で売り切れ。
嬉しいことだけれども、でも。そこには、「歳の離れた友人」は現れてくれない。
おじいさんやおばあさんも、子どもも来ない。いるのは20〜30代のクリエイティブ系の若者ばかりで、自分を軸として広がるクラスタだけが世界の登場人物になっていて、SNSのタイムラインにも、みんなが好みそうなフォトジェニックな展覧会の写真ばかりが並んでいる。それが狭いせまい世界の出来事だなんてことを忘れてしまうくらいに、タイムラインは一色に染まる。
もちろんその「一色」を突き詰めると、世界と繋がれる可能性もある。
けれども、こうも一色に染まってしまう毎日だと、自分のフィジカルな感覚や、本来あったはずの嗅覚がどんどん奪われていくような気もして、やっぱり少し寂しい。とても寂しい。
昨年、アーツカウンシル東京さんからお誘いいただき、関東の美術館や劇場の広報担当者の方々に向けて、インターネットでの話題の作り方や、SNSの広報について講演させていただく機会がありました。
その後、たくさんの広報担当者さんとお話したのだけども、飛び抜けた、圧倒的な熱量で「絶対にウチの舞台を、観に来ていただきたいんです!」と訴えてきてくださったのは、静岡県舞台芸術センター制作部の丹治陽さん。
熱狂的に勧める人がいる作品というのは、その人を熱狂させるだけの理由があるもので、そんなものは自分の目で観てみたい。
丹治さんに後日お誘いいただいたのが、シェイクスピア作の『冬物語』という舞台。
静岡まではバスで往復7時間。でも絶対に行かなきゃいけない気がして、「行きます!」と返事をしました。
「一緒に演劇、行かない?」と誘ったのは、友人の関口舞(@mai_d_mai)ちゃん。
「一緒にライブへ行こう」
「一緒に映画へ行こう」
「一緒に美術館へ行こう」
「一緒に演劇へ行こう」
…と、誰かを何かに誘うことがとても怖くて、日頃はなかなか言いだせない。
「もし、相手にとって苦手な分野だったらどうしよう」とか「時間の無駄だと思われてしまったらどうしよう」…とか。ついつい横にいる相手の顔色を伺ってしまうタイプの人間なので、誰かを誘うのは難しい。もちろん、作品のことは誰かと話し合いたいんだけれども。
ただ彼女も私も、昔演劇をやっていたということと、なんだかお互いがフィジカルな表現に飢えている気がしたので、ドキドキと誘ってみたところ大喜びで同行してくれました。
渋谷からバスで3時間半。途中で富士山もあがめつつ…
到着したのがこちら。静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center)通称、SPAC。
お向かいには富士山が綺麗に見えました。
公演前に、SPACの役者さんが本日の公演の見どころをお話しされています。
ガラス張りのカフェにずらりとお客さんがすわって、熱心に聞き入っている様子を見ると、「あぁ、この人たちはいつもこの舞台を、とても楽しみにしてるんだ」ということが一瞬でわかる。
そして、そこにいるのはまさに、老若男女。中でも40代〜50代の方が多くて、落ち着いた、あたたかい空気が流れている。みんなが休日のひと時を、とても大切に過ごそうとするような思いが集まっている。
今回上演される『冬物語』は、ウィリアム・シェイクスピア作で、宮城聰(みやぎさとし)さんが演出されたもの。
演出家の宮城さんのインタビューはCINRA.NETにも掲載されていたのですが、以下の発言がとても、とても心に引っかかっていた。
でも、静岡市でただ同じ作品を上演しても70人くらいしか集まりません。静岡県全体でも370人。だから、静岡で上演するためには1万人に1人クラスの作品じゃダメなんです。ハイエッジでありながら、1,000人に1人、500人に1人が面白いと思えるような、普遍性も併せ持った作品じゃないと成立しない。でも東京のシーンでは、そういう普遍性を持たない作品でも成立してしまうところがあるんですね。
まさに、東京では成立しにくい「普遍性」について語っておられて、こくりこくりと頷きながら読んでしまった。東京演劇界のど真ん中でその才能を育み、静岡で「普遍性」を追求する彼の舞台は、一体どんなものなんだろう、と。
そしていよいよ開幕。1610年に完成したシェイクスピアの「悲喜劇」が、宮城さんの演出で上演された。
びっくりした。
正直、これほどだと思わなかった。
途中の小休憩で、私は関口舞ちゃんの方をみると、彼女は目をぐりぐりにして「…面白すぎます!」と言った。私も「本当に、これは面白すぎる」と返した。
客席にいる老若男女みんなが、一つひとつのシーンに悲しみ、涙し、喜び、笑っていて。つまりとても普遍的なものなのだけれども、その中には攻めた仕掛けがいくつもある。
まずは何よりも、役者の声を別の役者が発するという「二人一役」という変わった手法。
そして、舞台上に並んだ打楽器でのオール生演奏。物語の温度そのままに明暗を変化させる、不思議な舞台装置。モダンな衣装には、西洋の物語を日本的に解釈したような意図も感じる。
安心感と好奇心が、同時に押し寄せるような。なんだか初めての、嬉しい感覚だった。
公演が終わり、私たちは「本当に最高でした!」「最高でした!」と、誘ってくれた丹治さん、そしてニコニコとみんなの様子を見届ける演出家の宮城さんに、二人でものすごく感謝した。笑っちゃうくらいにお礼を伝えた。
でもまだまだ、そこからのホスピタリティがすごい。
舞台に登れるバックステージツアーが始まり、この迷宮のような舞台装置の種明かしをしてくれた。
ギラギラと光る舞台装置は、とても身近な素材で出来ていたんだけれども、それはインターネットには書いちゃいけないそうなので、ぜひ実際に足を運んで、観てきて欲しい!
打楽器も触らせてもらえたり、衣装担当の方の話を聞けたり。みんなが子どもみたいに食らいついていて、その空間自体が素晴らしかった。
SPACは静岡県が作った劇団。公共の劇場に、こんなにも芸術性の高い演出家、そして役者の方々、舞台や照明や衣装のクリエイティブの方々が集結しているなんて。
「どうして今まで知らなかったんだろう!」と「なんとかこの素晴らしさを広めなきゃ」という二つで、頭の中がややこしくなった。
そしてまた、3時間半バスに揺られて渋谷まで。
朝出発して、帰る頃には真っ暗だったけれども、東京では味わえない1日になって、最高に満足して関口舞ちゃんと別れた。
でも、とても、とても残念なことが2つ。
「ジモコロ」で究極のハンバーグ店だと話題になっていた「さわやか」。この「さわやか静岡池田店」が、劇場から歩いて15分くらいのところにあったらしいんですよね……。
そして、劇場から10分くらいのところには、
「天神の湯」という、とても良質な温泉があったそうでして……(温泉大好きなんです)。
SPACで観劇→さわやかで食事→温泉でリフレッシュ、というコースが最高でしたね。みなさまはぜひ、このコースをコンプリートしていただきたいです。
シェイクスピアの『冬物語』は、今週末が千秋楽。
もし時間が合う方はぜひ観に行って欲しいのですが、私はその次にある、同じくシェイクスピア作・宮城さん演出の『真夏の夜の夢』も気になっています。
東京は面白くて、過ごしやすくて、最高の街。私はまだまだ、甘い蜜をひたすら垂れ流しにするようなこの街から離れられそうにありません。そこで発生する創造物がどんなにニッチなものであっても、その不完全さすら楽しく愛おしいもの。
でも、私が焦がれる「歳の離れた友人」は、きっと静岡みたいな場所で、出会えるんだろうなぁ。また行きます、必ず!(もちろん、そのときは「さわやか」と温泉も一緒に…!!)
Text by 塩谷舞(@ciotan)