Made in Paris. その刻印は、ブランディングのためのお飾り、などではない

Text & Photo by 塩谷舞(@ciotan

 

あなたは今、この記事をどこで読んでいるだろうか?

きっと多いのは、東京、大阪、福岡……中には、シンガポールやサンフランシスコに住む、海外在住の人もいるかもしれない。

実際、私はこのメディアを運営するのに、ニューヨークで執筆したり、飛行機の上で更新したり、山手線の中で焦って修正したりもしている。電波と端末さえあれば、ほとんど場所を選ばない。

 

仕事はどこでも出来る。そんな時代だからこそ、私は “Made in Paris.” という刻印は、おそらくその世界一プライドの高そうなブランディングを保つためだけにある……というくらいに思っていた。

でも私はこの旅で、“Made in Paris.” の本当の意味を知ることになる。


11月上旬、私はパリを訪れた。19歳のときに一度訪れたきりで、もう10年ぶりになるのだが、さすがは古都。パリはなにも変わらず、やっぱり美しい花の都だった。

パリで建築を学んでいたフランス人の友人は「何百年も変わらないパリよりも、次々と新しい建築が生まれる東京のほうがずっと魅力的だよ!」と言っていたが……でも、やはりこの古き良き街並みは、多くの人を虜にするだけの魅力がある。


しかし、変わらない景色の中でも、時代は確かに変わっている。

10年前は、せっせと紙の地図に印をつけて、ガイドブックを持ち歩き、ひたすらエッフェル塔を目印にしながら目的地を探した。
レストランではフランス語のメニューが読めずにエスカルゴのようなものばっかりオーダーしてしまったし、メトロでは乗り方がわからず苦労した。
空港で借りた国際携帯電話は、あまりにも通話料が高いので、友人とはぐれてしまった緊急時にだけ使った。
日本に帰ると、しばらくニュースを見ていなかったため、まるで浦島太郎のような状態になってしまった。

 

それが今は、スマホに現地のSIMカードさえ挿し込めば、Google Mapで現在地はわかるし、Uberを使えば目的地に最短距離で到着できる。
Yelpをチェックすれば美味しいレストランがすぐにわかり、Google翻訳で注文に迷うこともない。
Twitterを開けばabemaTVで放送中の元SMAP3人による番組の様子を垣間見れたし、日本の家族とはLINEで常に通話ができる。しかも無料で。

 

なんと便利な時代になったのだろう。

iPhone3Gが日本で販売開始されたのが9年前。そこからほとんどの仕事が、情報が、その手の中に持ち運べるようになった。

 

当然これはパリに限らず、世界中どこの主要都市でもほぼ同じ。都会はおのずと、どこも似てくる。そんな時代になってもなお「パリじゃないと、駄目なんです」と、その土地に強くこだわる日本人がいる。


訪れたのはパリの中心部、Arts et Métierという駅にほど近いジュエリー街。数多くのジュエリーショップや問屋、包装材などの店が華やかに並んでいる。


「ようこそ!」と出迎えてくれたのは、ジュエリー職人の八田春海さん。大阪出身で、パリに住んでもうすぐ4年。ここが彼女のアトリエだ。

重くて古い扉を開いた先には、ポッカリと明るい中庭が現れる。こんな場所でジュエリー職人としてはたらく日本人がいるだなんて……と、まずはあまりの世界観にクラクラしてしまう。

彼女が指輪を作っているこの場所は、ジュエリー職人ばかりが入居しているシェアアトリエ。

周囲の職人たちは、取材で訪れた私を見て「あの見慣れない日本人は誰だろう?」と興味津々な様子だったが、「…ボンジュール!」くらいしか言えない私の横で、春海さんが流暢なフランス語で「日本から取材に来てくれたライターさんだよ」と説明してくれた。

 


——春海さん、フランス語で仕事をされていましたが、昔から勉強されていたのでしょうか?

春海:いや、全然です。4年前にパリに来た時は、それこそ「メルシー」「ボンジュール」くらいしか喋れなかったんですよ。

——え、そうなんですか。

春海:はい。でもそんな状況だと、ポートフォリオを持ってジュエリーメーカーの面接に行っても、断られる理由が技術面ではなく、語学なんですよね。「あの、もう少しフランス語が話せるようになってから来てね」と。英語は話せたのですが、それだと入れてもらえませんでした。

ファッション業界だと、モデルやフォトグラファーは海外の人が多いのでパリでも英語が共通言語なのですが…ジュエリーは職人の世界なので、フランス語がメインなんです。

——そうなんですね。…というか、仕事のあてもなく、フランス語も話せない状態で、仕事を辞めて単身パリに引っ越してきちゃった、ということですか? 勇敢……!

春海:そうですね。というか、消去法でそうなった、という感じでしょうか。

——というのは?

春海:ここに来る前、私は東京でジュエリー職人として働いていました。でも、日本の不景気が重なって、そんな時にいちはやくカットされるのは贅沢品。ジュエリーなんて、その最たるものです。

——そうですよね……。

春海:高級なジュエリーが売れなくなると、当然、量産型の安価な商品がメインになってしまって、職人にとっても良い仕事が減っていってしまいます。日本でも、MIKIMOTOの技術は世界的にレベルが高くて、「これが人の手で作れるんだ…?!」と感動するものが博覧会なんかで発表されているのですが、そういったレベルで技術を学べる場所が今は本当に少なくなってしまって……。あとは、機械化の波もありますね。

——機械によって、職人の仕事が奪われてしまう?

春海:そうですね。職人の仕事…というよりも、若手の練習の機会、でしょうか。

昔は、若手が基礎的な部分を担当して技を磨いていたのですが、今はそういった部分は機械で補えてしまう。そうすると、若手が技術を磨くチャンスが減ってしまいますし、良い仕事は技術が高くてキャリアの長い職人さんに集中してしまいます。だから、若手の職人が育ちにくいんです。

——なるほど。それはどの業界でも、同じことが起きているかもしれませんね。

春海:きっとそうですよね。ただ、私はありがたいことに、非常にレベルの高い師匠のもとで修行をさせてもらっていました。ですが……修行が出来ても、市場がなければ仕事にはなりません。だからジュエリー職人として仕事をしていくためには、日本を出たほうがいいな、と。

春海:ジュエリーの世界では、フィレンツェかパリに職人が集まっています。ただ、イタリアは職業難なんですよね。かつ、学生として留学することは出来ても、日本からのワーキング・ホリデービザが使えない国だから、働くことは難しいんです。

 

ワーキング・ホリデー制度とは

18歳から30歳の若者がその国の文化や生活様式を理解する…といった目的で、旅行者として滞在しながらも、就労を認める、というビザ。以下の国や地域に、毎年多くの日本人がワーキング・ホリデー制度を利用して滞在している。オーストラリア、カナダ、韓国は18歳以上・25歳以下が対象(例外あり)。

対象の国・地域

オーストラリア/ニュージーランド/カナダ/韓国/フランス/ドイツ/英国/アイルランド/デンマーク/台湾/香港/ノルウェー/ポルトガル/ポーランド/スロバキア/オーストリア/ハンガリー/スペイン/アルゼンチン

 

春海:でも、フランスはワーキング・ホリデービザが使える国なので……まずはその制度を使って、1年間滞在しながら働いてみよう、とパリに来たんです。

そこでなんとか、3週間ほどの必死の就活を経て就職先を見つけまして…。最初は職場の英語が話せる人に通訳してもらいながらも、働きながらフランス語を身につけていきましたね。


——フランス語って本当に難しいのに、3年でここまで習得されてるなんて……。

春海:それで言うと、一番フランス語が上達したのは、妊娠・出産のタイミングでしたね。覚えなきゃ死活問題なので(笑)。夫は英語が話せるのですが、病院ではそうはいかないので…。

——単身パリに来て、数週間で就職先を見つけて、旦那様と出会って、お子様を出産して、その間にフランス語を身につけて、そして今は会社も辞めて、子育てもしながらフリーランスのジュエリー職人として働かれている……って、春海さん、人生がドラマティックすぎます。

春海:いやぁ、最初はビザの期限もあるし、1年で帰国する予定だったので、私もこうなるとは想像していなかったのですが……(笑)。でも、昔から海外志向は強かったので、周囲も「春海らしいな」と言ってくれてますね。

——やっぱりパリでは、ジュエリーの置かれる状況が、東京とは異なりますか?

春海:違いますね。こちらでは、ジュエリーもアートとして認められています。ファッション美術館ではない、一般的な美術館にもジュエリーが収蔵されているし、ファッションを超えたジュエリー、という文化があるんです。

それに、それこそナポレオンの時代から、パリでは盛んにジュエリーが作られてきました。貴族の文化が継承されているから、今でも想像もつかないような豪華絢爛なパーティーが開かれていますし、有名なハイジュエリーブランドの顧客にはインドやアラブの王族の方も多いんです。

世界中の人が、パリにジュエリーを買いに来ます。だからここでは、ハイジュエリーがビジネスとしても成立するし、職人の技術も磨かれていくんですよね。

——なるほど。ここは世界中の人が、お買い物をしに来る街ですもんね。

春海:はい。だからお客様の目が肥えているし、技術も磨かれます。逆に、ジュエリーの世界の怖いところなのですが……お客様が見る目を持っていないと、たとえ技術が中途半端なものでも、それが高値で売れてしまう。詐欺まがいのようなビジネスがまかり通ってしまうんです。

クオリティが全体的に下がってしまって、作る側も手を抜いてしまう。それでは、本当の文化が育たないですよね。

——本当の文化、ですか。

春海:ここパリには、技術もデザイン性も高く、文化を生み出すようなブランドが本当にいくつもあるんです。中には、Webサイトもなく、一切宣伝もしていないけれども、王族の方々御用達……といったブランドもあったり。売る側も買う側も、本当にレベルが高いです。

私はまだまだ技術を磨いている最中ですが、ジュエリー職人として、そのトップに食い込みたいんです。

——正直、リモートワークなんかが盛んになっている今の時代に、パリじゃないといけない理由なんて、あんまりないんじゃないか? と思っていたのですが……やっぱり、Made in Paris.には、ちゃんとした意味があるんですね。

でも、ここでトップクラスの技術を身に付ければいずれ、日本に戻られることも考えていますか?

春海:そうですねぇ……。やっぱり日本人は仕事が丁寧だし、努力の量も違うので、日本での仕事も恋しくはあるのですが……。

とはいえ、ジュエリーを作るには環境が大切で、私一人では作れません。今作っているLETTRE;Ringというものも、刻印は彫り職人さんにやっていただいているし、素材によっては日本では手に入りにくいものも沢山あります。逆にパールなどは、日本のものは質が高いんですけどね。

春海さんのアトリエから歩いてほんの数分のところにある、彫り職人さんのアトリエへ

彫り職人さんのアトリエ。春海さんのアトリエとは異なる、彫り専門の工具がずらりと揃う

『LETTRE;Ring』指輪部分は春海さんが、刻印部分は彫り職人さんが手がけている

——パリに来られて4年目、独立されて1年目ですが、現状はどのようにお仕事をされてるのでしょう。

春海:そうですね。今はファッションブランドやセレクトショップから委託を受けて、ジュエリー職人として作ったり、舞台や撮影用のお仕事で、一点モノのジュエリーを作ったりしています。

やっぱりそこでは、これしかない!というハイジュエリーを作りたいですね。


春海:それに加えて、個人の方からオーダーメイドで直接仕事もお受けしています。ただ、一点もののジュエリーをオーダーメイドでお作りするとなると、どうしても値が張ってしまうので、デザインをおこして、お見積もりを出しても、最終的にはご成約に至らないこともあるんです。

——誰もが、ハイジュエリーを購入できる訳ではないですもんね。私もですが……。とはいえ、ビジネスとしては、なかなかそれだと難しいですよね。

春海:そうなんです。だから今は、セミオーダーで購入できるブランドも立ち上げました。

——先ほど見せていただいた、「LETTRE;Ring」ですよね。

春海:そうです。ヨーロッパには昔から伝わる「ファミリーリング」という習慣があるのですが、家族の名前の頭文字を組み合わせたりして、指輪に刻印して、それを親から子へ代々受け継いでいったりするんです。これを、フルオーダーではなく、セミオーダーでお受けできればなぁ、と。

土台となるリングを3つの形から選び、そこに刻印するフォントも選べるセミオーダー式。フルオーダーよりもずっと頼みやすい価格だ。

セミオーダーといっても、一点ずつ職人さんの手作り。オーダーされたアルファベットがリングに綺麗に収まるよう、彫り職人さんと細かな打ち合わせをしている。

 

——セミオーダー、いいですねぇ。私、こんな話をすると失礼かもしれないのですが、実際あまりハイブランドのジュエリーに関心がなくて……。こう、せっかくそこそこお金を出して買うんだったら、ブランドものというよりも、なにか語れるようなものが良いな、と。なんなら結婚指輪を買うよりも、夫婦で気に入ったアートを買うほうがいいのでは? と思ってしまったくいらいで。

春海:私も、もともと文化が好きで、美術館ではたらく人になりたかったんですよ。アートが人に影響をもたらしたり、それで生活が豊かになるのか? ということを、証明したかったんです。

でも、自分の手でものを創ることが好きで、結局はジュエリー職人になったのですが……ジュエリーも文化です。人の心を豊かにするようなジュエリーを手がけていけるよう、これからも技術を高めていきたいですね。


——取材中、春海さんの口からはなんども「文化」という言葉が出ていた。

とても朗らかな春海さんだが、その言葉選びからは、彼女がジュエリーを消費物ではなく、未来に残していくもの、文化を更新していくべきものだと捉える強い意志が、静かに伝わってきた。

彼女の創るジュエリーには、まもなくMade in Paris.の刻印が添えられる。

フランスでは、一定以上の貴金属になると、それを生んだアトリエ専用の刻印を押す義務があるそうだ。ジュエリー職人として独立したばかりの彼女は、まさにオリジナルの刻印を作っている真っ最中。

それは、ブランディングを保つためだけの飾りではない。彼女の話を聞いて、私は自分の無知を恥ずかしく思った。Made in Paris.という刻印には、世界のトップで文化を更新し続けようと挑む職人たちの、静かな意志が刻まれているのだ。

 

この10年で世界は変わった。随分と便利になった一方で、世界中の大都市はどこも、似たような姿に統一されつつある。しかし、パリという都市の価値は、そう簡単には揺るがないのだろう。

 


Text & Photo by 塩谷舞(Twitter|Instagram

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LETTRE;Ringからのお知らせ

本日から、LETTRE;Ringのポストカード型カタログセットを、300部限定で無料でお送りしています。 セミオーダーで注文できるLETTRE;Ringの、刻印や土台がシミュレーションできるポストカード型のカタログをお届けします。サイズが測れるリングメジャー入り。

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カタログセットと一緒に届くポストカードを、一部ご紹介します。どれがお手元に届くかは、お楽しみに。

 

 

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